温泉むすめの中でも知ってそうで知らないこと、2人の関係の起源を考察します。
※タイトルはシリーズ化しちゃったけど、『温泉むすめ』要素ほぼない。
※けっこうソースが信用できない部分が多い。
ここで言いたいこと
- 両者に地域的つながりはないよ
- 最寄りの神社の起源とか祭神とか温泉地の歴史とかなんかあった祠とか調べたけど、それっぽいつながりはなかったよ
- 酢川温泉神社に蔵王山の石碑と山の神の石碑が並んでた理由はよくわかってないよ
- 上記も含めて少しだけわかってない部分があるからもしかしたら違うかもよ(違うと信じたいよ)
- 「キャラ考案者が蔵王を現地調査した結果勘違いした説」が個人的に有力
神社から考える両社の違い
まずは温泉むすめが社渡りで使う、温泉地にはなんだかんだ鎮座している神社から両地域の違いを紐解いてみる。
地域の歴史を知るにはまず神社仏閣から。早速見ていく。
それぞれの発祥
まず蔵王温泉の代表的な神社は「酢川温泉神社」。
これは834年~847年に建立されて、873年に従五位下を授かった大変古い神社である。(ここでは「日本で14番目に偉い神社になった」程度の認識でOK)
酢川温泉神社は、瀧山山頂の祠と、熊野岳山頂に県立されている蔵王山神社で成り立つ三社一宮の内の1社。
神社がそれほど古いということで温泉地としての歴史はもっと古くなるがそれは後程。
山の神温泉の代表的な神社は「山祇神社」であるって山の神温泉唯一の旅館優香苑の公式HPに書いてあった。
山祇神社は、昔は豊沢川ダムに沈んだ村に鎮座していた神社。ダム工事に伴って1953年にお引越し(移築遷宮)してきた神社である。
古い代に豊沢村の祖高橋新助さんというおじさんが、伊予国(今の愛媛)の御分霊を迎え入れたことが始まりだと昔から言い伝えられている。これ以上はよくわからない。
山祇神社が資料なさ過ぎるが、ぱっと見共通点はない。
それぞれの祭神
蔵王にある酢川温泉神社の祭神は大己貴命と少彦名命。2人は国を作った日本神話では言わずと知れた名コンビである。
有馬でもそうだったけど、昔からの温泉神社には高確率で少彦名神と大己貴命を祭るらしい。
山祇神社の祭神は大山祇命(オオヤマツミノミコト)。文字通り「山の神」である。両社の祭神も違う。
来歴と祭神が違う。神社から見て二か所の温泉地の関連は見当たらない。
命名
次に地域の命名理由から歴史を紐解き、両地域を比してみる。
蔵王
いつ見ても強そうな名前の蔵王温泉だが、温泉地の歴史としては古墳時代あたりからとなっている。
その昔、日本武尊(ヤマトタケル)が、神武東征に乗り出した時に従った吉備多賀由さんが矢の毒にやられた。(神武東征はここでは東の征服くらいでOK)
テンパってた……かどうかは知らないが、その時に見つかった温泉で癒したところ、たちまち毒が治ったことから発見者の名を取り「多賀由温泉 ⇒ 高湯温泉」と名付けられたのがもともとの起源である。その名残として、酢川温泉神社に続く通りは「高湯通り」と名付けられたまま残っている。
そこから時は経って1950年、毎日新聞社主催の新日本観光地百選の山岳部門で蔵王山が1位を取ったのをきっかけに名前を蔵王温泉へと変更し、今に至っている。
ちなみに蔵王温泉のpHは1.6前後。これは日本で3番目に強い酸性である。酸性の代表レモンのpHは基本2.0~3.0くらい。そら解毒もされる。
山の神
はっきり言って山の神温泉は神社もそうだったが資料が全くなく、なぜ山の神と名付けられたのかは不明だが、優香苑の公式HPによれば「山祇神社があったから」だそうだ。
話がそれるが、山の神温泉唯一の宿『優香苑』は新幹線変形ロボシンカリオン9話でモデルとして登場したらしい。
山祇神社は蔵王の酢川温泉神社と関連がないことが前の章で証明されているため、命名理由からも両地域の関連は見られなかった。
「山の神祠」と「山祇神社」
個人的に2人の関係の大ヒントになると思われた石碑がある。インターネットにはほぼあがっていなかったが、たまたま現地にいたぽか旦那の協力を得て撮影してもらった。
フォロワーさんから教えてもらった情報をもとに酢川温泉神社へ!
— メル🐾 (@Meru_onsen) August 5, 2019
……蔵王山と書かれた石碑と、山神と書かれた石碑がありました。
これが二人の関係性を示す物なのかな? pic.twitter.com/9ZSFUXkyCU
メルさんにはこの場を借りてお礼申し上げます。
いやもうこれどうみても蔵王の神てぇてぇになる……はずなのだが、冒頭でも触れた通りこの2つの石碑が並んでいる理由が明らかになっていない。写真の石碑周辺にも説明がこれいといってないらしく、理由は謎に包まれたままである。
一応、酢川温泉神社には上の写真の石碑とは別で「山の神祠」という祠があるのだが……。
この山の神祠は別名「古峰神社碑」と名付けられており、その名の通り栃木の古峰神社から御分霊を迎え入れるために建てた石碑だと考えられている。
古峰神社の祭神はヤマトタケルであり、その人に従っていた吉備多賀由が蔵王と縁があるため祭っているのだと考えられる。(結構ついでに感があるが)
あらためて言うと山祇神社の祭神はオオヤマツミノミコトであり、両社は神話上でも特に繋がりのない別人(神?)である。
(修正8/18:どう見ても古峰神社碑とは別物なので削除)
この山の神祠は説明看板では「1751年の建立。現在16人の講中人がいる。神社前の道路付近にあったものを現在地に移転した。」とある。
2枚目から順に、熊野神社石板碑、山の神祠、古峰神社碑です。
— メル🐾 (@Meru_onsen) August 18, 2019
……うーん。分からない。#蔵王温泉#温泉むすめ pic.twitter.com/zP2ZxHjyhh
講中人(コウジュウビト?)とは要するに「宗教行事を行なう結社を立ち上げ、神仏に参拝したり、祭りに参加したりする信仰者の集まり。」のこと。
「神社前の道路付近にあったものを現在地に移転した。」という完全に岩手の山の神神社とはまったく関係のない記述にがっかりするしかない……。本人たちは全く悪くないのだが。
このことから「山の神祠」と「山祇神社」を関連付けるのは難しい。しかし度々になるが、並んで石碑が立っている理由がわかっていないのでワンチャンある。個人的には絶望的だが。
地理的な話
最後に、地理的な観点から両地域のつながりを探してみる。といっても「遠いよね……」って話だけなんだけど。
直線距離
単純な遠さと言うのは、地域の関係性が生まれるかどうかの簡単な指標になると思っている。個人的には。(中学まで程度の社会の知識)
岩手から山形だから薄々わかってたけど、遠い。名古屋⇔大阪間より+20kmくらい長い。こんだけ離れてて文化交流があったらそれこそどっかの記録に残ってそう(偏見)。
そしてこの距離の遠さから「実は同じ山を信仰している」という線も消えた。両地域とも山岳信仰が共通点ではあったが、この遠さで実は同じ山を信仰していたと考えるのには無理がある。
まとめ
- 単純に山の神温泉と蔵王温泉は遠い
- 酢川温泉神社と山祇神社につながりがないし、酢川温泉神社にあった匂わせな石碑も関係がない可能性が高い
- 蔵王と山の神の名前の由来にこれといった関係がない
以上3点から山の神温泉と蔵王温泉にはペアとなるような関係性がなく、温泉むすめ公式であのような関係になっている理由は不明のままであった。
1つ考えられるのは酢川温泉神社にあった2つの石碑。キャラ考案者があれを見たときになにか勘違いをしてしまった可能性がまず考えられる。しかしキャラ考案なんて大仕事をしているときに、調べればすぐわかるようなことに引っかかるのだろうか?……と考えていくと疑問は尽きない。
そもそもまだあの2つの石碑の謎は明らかになっていないし、山の神温泉に至っては完全に資料不足だ。まだ未解明な部分も多い。今後に期待したい。
いやもうここまで来たら観光関係者に電話でも掛けるか?(錯乱)
リンク集
雑に今回の調査で使ったリンクを貼っていく。
蔵王温泉観光協会が出しているパンフのpdf。山の神祠(古峰神社碑)と書かれている。
http://zaospa.co.jp/files/user/download/2015-004.pdf
メルさんに撮ってもらうまで唯一これしか見つからなかった例の2つ並ぶ石碑。
www.kankou.yamagata.yamagata.jp